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2-1 コーヒー農園を「開発」するとは? (ミカフェート 川島良彰氏インタビュー)

第2回山田浩之研究会のインタビュー企画は、「コーヒーハンター」という名で有名な川島良彰さんです。「フェアトレード」の浸透などで、農業生産物と貧困は、先進国にとって遠くて近い?存在になりつつありますが、現地は実際どうなんでしょう?

そんな疑問をぶつけるため、ミカフェートの代表取締役でいらっしゃる川島さんに会いに、田町にある本社へ。とってもきれいで、コーヒーのいいが漂っていました…。

川島さんは、40年以上にわたり、50か国以上のコーヒー農園で、自分の目と足と手で開発支援を行ってきました。現在は、タイやルワンダなどでの技術指導や、コロンビアの知的障碍者のサポートを行う傍ら、様々なコーヒー事業の監修も携わっています。

高校卒業後、エルサルバドルの国立コーヒー研究所でコーヒーについて学ぶ。その後UCC上島珈琲株式会社に務め、23年間農園開発に携わりながら、「幻のコーヒー」を復活させるなど、数々の実績を持つ。2008年から、株式会社ミカフェートの代表取締役を務めている。まだ発見されていないコーヒーを求めて世界中を飛び回ることから、「コーヒーハンター」と呼ばれるようになった。

More details: https://www.mi-cafeto.com/aboutus/josekawashima.html

これから、4回に分けて川島さんへのインタビュー内容を公開していきます!第一弾のインタビューのトピックは、「農園開発」について。 日本国内の農業でさえも疎い私たちには、開発経済の教科書で農業について学んでも、全く実感が湧かないのです。まして、コーヒーの農園開発とは一体…。

1.農園開発とは?

Q. 農園開発のイメージがつかなくて…。私たちは9月にルワンダに行くのですが、例えば、ルワンダにおけるコーヒーの農園開発となると、どうなるんですか? 

…ルワンダって本当にかわいそうな国だと思う…(笑)。

―――!!!???

これはルワンダに限らずアフリカ全体にいえることなんだけどね。例えば、コーヒー栽培の歴史からみてみようか。アフリカも中南米もほとんど同じ、19世紀半ばからから、コーヒー産業が始まっているんだよ。でも、中南米は1700年代にスペインから独立した後に、コーヒーが紹介されて、産業が生まれた。つまり、どんな小さな農家も、ひいおじいちゃんの代からコーヒーを作っているから、「もうそろそろ肥料まかなきゃ」、「もうそろそろ剪定しなきゃ」っていう栽培方法が分かっている。

けど、アフリカってご存知のように、ほとんどの国は1960年代に独立しているでしょ。例えばルワンダだったら、かつてベルギー人の農園で働いていた人が、1960年以降、自分の土地をもってコーヒー栽培を始めた。そうすると、ベルギー人はこうやってたなぁっていう「感覚」で栽培をやり始め、それがどんどん自分が都合のいい形にmodifyされていくんだ。

例えば、「今年は、…肥料やんなくていいや~」(爆笑)とか、「木を切ると、もう生えなくなっちゃうじゃないか」って剪定を全くしなくなったり。だからもう、本当にひどい状態だよ!!

いろいろ説明して、「人間も食べないと死んじゃうでしょ、肥料をまかなきゃ、栄養が必要なんだよ」っていっても、わかんないんだよね~ 。それはもうアフリカのどこの国に行っても、同じようなことが言えるよね。

Q.…想像以上でした。そういった技術指導を行う際に気を付けていることはなんですか?

やっぱりまず歴史を勉強すること。どういう人種構成か、どういう社会構成か。宗教は何か。貧富の差は激しいのか。識字率なんかもすごく重要だよね。

例えば、歴史的な背景。僕は1981年にジャマイカに技術指導に行ったんだけれど、当時のジャマイカは、19年前にイギリスから独立したばかりだった。つまり、それまでは完全に白人に支配されて、奴隷のように扱われていたわけ。もっと歴史的なことを言うと、ジャマイカは、アフリカのいろんなところから奴隷が集められていたという背景がある。

<図>イギリス、アフリカ、カリブ海を結ぶ三角奴隷貿易の中心地でもあったジャマイカ

だから、僕が行ったときは、人口の95%が人種の混ざったアフリカ系の人たち。…まずものすごく猜疑心(さいぎしん)が強いわけじゃないですか!黒人以外の人に対する。猜疑心が強いから、そういう中で仕事をするのはやっぱりすごい大変だった。直毛で黄色人種の日本人なんて全然入っていけないわけよ。まず仲間に入れない。どうやったら信頼してもらえるだろうかって考えた。

そして苦肉の策でやったのは、毎月家でパンチパーマをかけること(笑)!!肌の色はね、日に焼けて黒かったから、髪だけちりちりのパンチパーマにして。まずは外見から!僕はチャイニーズとアフリカンの間の子だって言って(爆笑)。

そんなことしてでも、やっぱり入っていかないと仕事にならないからね。

Q. 宗教について考えさせられたことはありますか?

インドネシアで大変だったな~。4つの宗教の中で仕事をしたんです。

僕が行ったインドネシアの農園の周りには村がいくつかありました。村によって部族が違うし、言葉も違うし、宗教も違う。最初そのことを知らなくって、一か所にみんなを集めて仕事をさせちゃったんだよね。そしたらすんごい雰囲気になっちゃって!おかしいなって思った。

結局、その4つの村人たちを別々のところに配置をさせなきゃいけなくて、それは大変だったよ!ただやっぱり、それぞれの部族のリーダーを集めてミーティングするときは、「あなたたちは、リーダーなんだから、プロフェッショナルの覚悟を持ってくれ」っていって仕事をしてもらっていたよ。彼らは分かってくれても、その下で働く人たちは、なかなか理解してくれなかったな。

2.ゼロからの信頼関係の築き方

Q.なるほど。つまり、現地の労働者との関係が重要ということですね?

そうだね。じゃあここで、1980年代のジャマイカでの話をしましょう。

労働者っていっても、みんな、車も自転車も持っていないし、山の中を2,3時間かけて歩いて農園に通ってきてたんだ。そして、収穫期になると、うちの農園だけじゃなくて、よその農園も収穫が始まるから、収穫労働者の取り合いが始まる。そこでどうやって労働者を集めて、うちのコーヒーを積んでもらうのかって考えて…。僕がいつもやっていたのは収穫祭をやることです。例えば、収穫が終わった最後に収穫祭をやって、収穫量が多い人を、10位くらいまで表彰してました。もちろん、賞品もね!学生さんたちさ、みんなわかんないかもしれないけど…

<イメージ図>参照https://www.costumecollection.com.au/hip-hop-dancer-80s-costume.html

昔さ、80年代とかのアフリカの黒人は、こんなでかいラジカセを持ってるのが、かっこいいと思ってたんだよ。音楽が好きだからね。だから、収穫祭の前は、ジャマイカに売ってないような大きなラジカセを10個くらいマイアミで買ってました。こうやって労働者を、また来年も来てねってencourageしてました。…地道だよ~(笑)。

一緒にご飯食べて、一緒にお酒飲んで、仕事をしていかないと。お金だけではないからね。ちょっとほかの農園より多く払うからといって、働きに来る労働者が絶対僕の農園に忠誠を尽くしてくれるわけではないから。最後は人間関係が大事。だから「川島のところに行けば、ちゃんと面倒見てくれるし、ちゃんとやってくれる」って思ってもらえれば、自然とまた来年も来てくれる。だからやっぱり最後は人間関係だと思うよ。

Q.技術指導を聞いてもらうための「前提」が何より大切なんですね…。

僕がいつも、日本からやってきた駐在員の部下に話していたことがあります。

「たまたまあなたたちは、日本に生まれて、日本の会社で正社員で、ジャマイカに駐在員として来ている。なのに、小学校しか出ていない彼ら(ジャマイカの農園の労働者)よりも仕事なんて出来ないじゃないか!英語も満足にしゃべれないし。彼らの方がずっと仕事ができるけど、残念ながら、彼らはジャマイカに生まれて、小学校しか出ていないから、こんだけ働いてもこれくらいの給料しか貰えない。お前この程度の仕事で、10倍給料もらっていることを感謝しろよ!」

って。いっつも言っていたんだよね。でも、それが分かんない日本の駐在員もいました。その結果、血を見たこともあります…。僕はいろんなところに行って仕事をしてきましたが、やっぱり一番重要なのは、現地の人に対するリスペクトだよね。それをなくしたらもう仕事は絶対できないよ、と僕は思っています。

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