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3-4 アヘンから人へ


9.黄金の三角地帯

国連薬物・犯罪事務局(UNODC)からも一目置かれているドイトゥン開発プロジェクト。それもそのはず、アヘンのもととなるケシの花の栽培率を

99.9%撲滅させました。

(UNODCは持続可能な開発と人間の安全保障を確保する観点から,不正薬物,犯罪,国際テロリズムの問題に包括的に取り組むことを目的に設立されました。)

今まで3回にわたってドイトゥンのプロジェクトを紹介してきましたが、ドイトゥン開発プロジェクトの原点である「アヘン」についてたどっていきたいと思います。

こちらの写真のメコン川の先に、「黄金の三角地帯」と呼ばれていたタイ、ミャンマー、ラオスの麻薬密造地帯がありました。現在では、タイとラオスでは経済成長と共に生産量の減少が進んでいますが、ミャンマーでは政情不安とともに麻薬ビジネスは多極化しています。

ここ三角地帯のアヘン栽培の悲しい歴史は、戦争と貧困の問題が深くかかわっています。

ドイトゥンのエリアから少し離れたところにある、オピウムのミュージアム。世界中の麻薬が撲滅するように、という願いを込めて作られたそうです。古代ギリシャから始まるアヘンの歴史を学べるだけでなく、アートとしても力を入れており、かなりの迫力がありました。

10.アヘンの歴史

ここで話が変わりますが、アヘンと聞くと真っ先に浮かぶのが中国とイギリスのアヘン戦争。

はじまりは、18世紀後半のイギリスの対中貿易不均衡の問題です。簡単に言うと、イギリスは、紅茶の消費社会であることから、中国からの茶の輸入が超過し、大量の銀が流出していました。

その問題を解決するために、あらゆる輸出代替品を示しましたが、中国皇帝・乾隆帝との交渉はうまくいきませんでした。

そこで登場したのが、アヘンです。イギリスがインドでの植民地政策の際に大量に栽培をしたアヘンを中国に密輸します。こうして、イギリスは、インドを通すことで、大量の銀を中国から吸い上げ、利益を得ることに成功しました。

その結果、中国のアヘン輸入は激増し、巨額の銀の流出などが、財政・衛星上の大問題を引き起こしました。

中国も黙っているわけではなく、アヘン禁輸を唱えた林則徐が、広東に赴任し、アヘンの取り締まりを始めました。

それに対抗しようと、イギリスは、「中国が自由貿易をしていない」(詳しくいうなら、イギリスは東インド会社の独占を廃止したのに、中国側は「公正」による貿易独占をしている)ということで、中国市場の開放を大義名分とし、開戦を決定しました。

これが、アヘン戦争です。

イギリス海軍の圧倒的な強さのもと、中国は完敗。自由貿易の勝利という名の不平等条約が結ばれてしまいます…。

そしてこの影響は東南アジアにも波及し、イギリスからの圧力によって関税なしで大量に輸入されるアヘンは、人々の暮らしだけでなく社会全体に弊害をもたらしました。

そして東南アジアのアヘン問題にさらに拍車をかけたのが、太平洋戦争後に中国で起こった国共内戦。敗れた蒋介石率いる国民党の全てが台湾に逃れだけではなく、タイ北部に逃げ込んだ人たちもいました。その中心人物であり、ここ、黄金の三角地帯を作り上げた、クンサー。少数民族解放運動という建前のもと、人々を武装させ、アヘン栽培で自らの資金集めをしていました。そしてそこに関わっていたのが、アメリカ。もともと国民党を支持していたということもあり、クンサーを影で支援し、アヘンを購入していました。クンサーに武器を渡す代わりに、ベトナム戦争で疲弊したアメリカ兵のためにアヘンを入手していたのです。

この事実を(アメリカの顔色を窺わず?)公開しているこのミュージアムの勇気に、アヘン撲滅に向けた覚悟を感じました。

とはいえ、現在もドイトゥンには薬物が密輸されています。麻薬生産の根絶は不可欠ですが、少数民族の問題などとも複雑に絡み合っているからです。ベトナムからの薬物売買の小道などもいくつか特定されており、もはやドイトゥンだけの問題とは言えない状況といえます。そして、タイ全土においても、麻薬の問題は大きく、貧しいトラック運転手や、激しい受験戦争に追われる学生まで、薬物の危険は及んでいるそうです。

11.平和への努力

私がちょうどドイトゥンに訪れていた時に、ミャンマーの警視庁の方々が、ミャンマーにおける薬物の栽培・売買の撲滅を目指して視察をしに来ていました。ミャンマーでは、まだまだ少数民族による麻薬栽培、軍部による麻薬売買といった問題が根強いそうです。今後は、周辺国で連携して薬物問題に取り組み、薬物ではなく、人々の自立を促すために、ドイトゥンがトレーニングセンターとなって世界に貢献していくそうです。

ドイトゥンのスタッフの方々が、タイとミャンマーの国境に連れてきてくれました。

タイの側は、森林が生い茂り、霧が立ち込めています。しかし、ミャンマー側は、焼き畑農業の跡が残り、森林はほぼありません。 わずかに、ドイトゥン・コーヒーを模倣して、コーヒー畑を作り始めてはいますが、タイが今まで行ってきた努力が目に見えてわかる光景でした。

もうひとつ、タイの様子が分かることがありました。

ここは、タイとミャンマーの国境であり、軍事境界線です。ですが、タイの側には、「軍によるカフェ」があったのです。

私たちが行ったときは、雨季で環境客も少ないため、軍のカフェはやっていませんでした。が、ちょっと声をかけたところ、急いで仲間を呼んで準備し、カフェを開いてくれて、盛大なおもてなしをしてくれました!

絶景ですが、恐ろしすぎるテラス席です。風も強く、小雨も降ってるので(笑)。

こんなに平和になったんだなぁ、とタイの平和に向けた努力を肌で感じることができます。韓国と北朝鮮では、こんなのんびりカフェなんて開けないですもんね。

他にも、タイでの面白い写真をまとめてみました。(クリックして拡大できます。)

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